都市文明後の世界

私は都市文明後の世界を考えてきたのだが、ベストセラー「ファツション化社会」を書いたもの

として。


未だに都市文明から抜け出られない世界の自動作用をどう考えたらいいのだろうか?

60年代末期に構想し,70年代初頭に「浜野安宏ファッション化社会」(何度も再販、復刻の

ベストセラー)を書いたのは都市文明後の人間社会の展望だった。

「人があつまる」(ロングセラー)では都市文明後の都市について構想した。多くの人に影響を

与えたようだ。歩き、生活し、自然と都市の両側に棲み、生きてきた。すぐれた建築家も多くな

った。建築技術も発展を続けた。土木工事も進歩した。しかしながら、ますます都市文明そのも

のが自己増殖して行っている気がする。

私はこのごろ仕事ついでに、東京の再開発や近代の補修、再生などリノベーションを見て歩いて

いる。建物は増殖しているが、人々は黙々と携帯電話、I-Phoneを見ながら歩いている。ますます

都市文明は都市そのものを消失し、不在化させて行き、人々はファッション化によって、次のス

テージに入ってしまった。職場や居住環境に従属するのではなく、狭い入り口から世界に、即時

に繋がって行けるネット社会、メディア村に棲み分けている。どんなにつまらない街になって行

っても、各個人の生活とは関係ないかのようだ。


JRは今まであり余る不動産を無為に放置、無駄使いしてきたが、やっと再生、再利用、再開発

余念がない。私は国鉄がJRになった後の数年間、商業、人間界隈などを駅および駅勢圏にどう

るか、レクチャーしてきた。主に社長以下意思決定に関わる人々にである。それは効果があった

ようではある。私が具体的に実現したのは丸の内駅前のテンポラリーなビヤホールぐらいである

が、それでも実のためにあらゆる規制と格闘してきた。

今では大きなウェーブになって都市にわずかな味わいを添えている気がする。古い鉄道高架下は

白く利用されているが、せっかくの川には裏を向けている。表を向こうという意欲は感じるが、

実は対面する超高層もふくめて相変わらず川にはお尻をむけたままである。

超高層のビル風を界隈に当てないために申し訳程度のヒサシが付いているのが、もっと寒々とさ

る。都市文明後の時代になったはずの現代、現実の都市は更なる不在と消失に向けて走り続け

ている。れは建築家や建設業に対するやっかみでも批判でもない。この文明的状況全体につい

てどう舵をきのか?


静かに考えることが必要な時が来ていると思うのである。自分のブログで時おり熟慮、発表して

行きたい。


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