釣り仲間の皆様へ
サクラサーモンへの私の思い上がった、
軽はずみな行動に関して。多くの迷惑をおかけしたことへの
反省とお詫びを申し上げます。
そして、みなさんの暖かな忠告、ご支援、ありがとうございます。
みなさん、本当にありがとうございます。
山川草木にもありがとうございます。
アメリカより8月27日帰国し、8月29日に道東の河川に遡りアメマスを釣りに参りましたが、アメマスが定位するのは見えていましたが、実際には、何匹ものサクラマスが釣れてしまいました。この日の魚はアメもサクラもほれぼれするほど美しく、何枚かの写真におさめました。
もちろん、即座にリリースいたしました。この機会に自分の考えを述べさせてもらいたいと考え、フェースブックにUPさせてもらいました。手で持っことも、抱くこともしていません。川も公開していません。
私の顔が嬉しそうだとおっしやいますが、せっかく釣れてきたのですから、美しいものは美しいと愛でてあげたいと思います。
私は法を犯す行為は一切しておりません。
友人達はサクラが釣れたのか?と辛い顔をして見せていましたが、せっかくかかったのだから愛でてあげればいいのにと思いました。
映画「さかなかみ」でもその点は漁協とも対話し、出演も願い、法的な専門家の意見も聞き完全を期してきました。
この日も2人の釣り友が同行し、多くの釣り人が川に入ってフライやルアーの釣りを行っていました。
私と同じように遡りアメマスの大物を狙っていたのだと思います。
時折サクラサーモン(本来鱒はなく、鮭に属する魚なので、私は勝手にサクラサーモンと呼んでいます)
しかしながら、この日は密漁者(サーモンエッグを主に採捕が禁止されている魚を捕獲し取得する者)もいたらしく、腹からエッグを抜き取った魚の遺体が何匹も流れてきました。
若いころ犯人を捕まえて抗議したこともありますが。思い切り顔面を蹴られて、私の顔にはその時受けた傷がモスクワの交通事故の傷ととともに残っています。
山のように考える
川のように考える
魚のように考える
今年、アメリカの家でグランドティトン山に30年間夏を過ごして見えてきたことを、「自然からの気づき」として書いておりました。
その中でも最大の思考をいたしましたのは、
「山のように考えるーThinking like a mountain」
ということです。
来年4月にこの本が発売されれば、もっと多くのことをわかっていただけると思います。
しかしながら、私はサクラサーモン、サツキマス、ビワマスの自然産卵にかかわる運動で迫害も受けてきました。
何も知らないで写真をとり、SNSにUPしたのではありません。
長良川河口堰反対運動とサツキマス(長良鱒とも呼ばれ、ビワマス、サクラマスと類似の系統)の保護。
私は当時、政府の財団法人公園緑地管理財団の評議委員として福岡の海の中道国営公園を建設する評議委員などもしていましたが、わたしの努力で海の中道の海洋生物科学館の設計に大先輩である、磯崎新さんをお迎えしました。
同時に私は長良川のサツキマス保護の観点から河口堰の反対運動もしていました。工事が本格化する前のもっとも危険な時期です。
(財)公園緑地管理財団は長良川河口堰で河川を止めるエクスキューズとして、木曽三川国営公園を計画していました。私は評議委員として、せめて「サツキマス記念水族館」とサツキマス遡上の見える「観察学習センター」を作るべきだとしつこく提案していました。
この件であまりに執拗な私の態度を危険と思ったのか評議委員の座から降ろされました。
日本でサルモニダエ族の魚に深入りするといつもこのような目にあってきました。
関連団体である、日本水資源公団の重責を担っておられたのが後に横浜市長としてやってこられた高秀秀信さんなのです。
細郷市長の元で横浜のみなとみらい都市デザイン委員会の定席メンバーだった私は、特にポートサイド地区の街区形成に深く関わっていました。
私と共に横浜デザイン都市宣言など数多くの計画を行っていた細郷市長が急死され、ダムや河口堰で私と対立していた高秀市長に変わったわけです。
私はダムや河口堰の恨みを街で晴らされました。本社まで横浜に移していましたから大変な辛酸をなめました。すべての公職から外されてしまい、職を求めて東京に戻らなければなりませんでした。
今回皆さんに指摘された私のでしゃばり、早とりちりと思われる行動は若い頃からの命がけで仕事もなくしてまで活動してきた血が沸き立ってしまったのです。日頃仲良く遊んでいただいている釣り仲間にまで迷惑をかけてしまったことは心底おわびします。
今後の行動 日本のフライフィッシング・フィールドの国際化
オレゴン州のベンドで行われたIFFF国際フライフィッシング協会50周年事業において、私の映画「さかなかみ」 英語タイトル「SAKANAKAMI--FISH GOD」は二日連続での上映でした。昨年に続いてのアンコール、しかも二日連続です。
かなりの方がスタンディング・オーベーションと厚い握手をくれました。
来年3月のTUトラウトアンリミテッドの総会でも[SAKANAKAMI]が招待上映されます。
昨年からいただいている
「日本のサルモニダエ族(サーモン、トラウトなど河川の源流域で砂礫の冷たいクリアな水の流れる川がないと産卵できない魚類で、幼魚に成長すると降海して海で大きくなり、生まれた河川に帰って源流域で産卵行動をする魚族)のスポーツフィッシングがどうして世界の釣り界に紹介されないのか?解ってきたが、今後どうするのか?」
という疑問が数多く投げられるのです。
ジミー・カーター大統領(アメリカでは1度大統領になった人を一生「大統領」と呼び、元大統領とは言いませン)「チェリーサーモン(私はサクラサーモンと呼んでいます)を釣らせてください」
というリクエストに答えられないまま、ガンになられて闘病しておられます。お見舞いに行きたくとも、鮎の友釣りとサクラサーモンのフライフィッシングへ明確な解説ができないまま一夏が過ぎて行きました。
カムバックサーモン/豊平川に鮭を呼び戻す運動を提唱された北海道大学の吉崎昌一(2007年2月20日、75歳で逝去)さんからも
「浜野さんがサクラマス(サーモン)の自然産卵、スポーツフィッシングへの解放を成し遂げてくださいね」
アラスカへアイヌのエカシ豊川さんを連れて原住民に鮭の漁業権を奪回する方法を模索しました。この旅でアイヌの住民としての誇りと権利は少し前進できたと思います。当時の私はこのぐらいの費用を負担できる経済力を持っていました。
これからは財団法人ビーチ&フィールド保護協会の活動を活発化させて、資金調達も行い、なんとか吉崎先生の遺言を実現できるようにしたいと思います。
吉崎先生たちの努力で札幌を貫く都会の川にサーモン&トラウトが遡上し、産卵もするようになってきました。
私は吉崎さんとアラスカの原野で誓ったことをまず、映画「さかなかみ」を全く自分のお金と友人たちのコントリビューションで完成させました。世界でも評価は高く、これから日本でも一般に上映会を続けていきます。各地で楽しく会話をさせていただいています。
グランドティトン山麓で吉崎先生、豊川エカシが山並みの向こうからあらわれ、北海道を守るのだ、サクラサーモンの自然産卵と、独占から解放への道を開けと何度も夢に出てきたのです。
今回のFACE BOOKでの思い過ごしはアメリカで毎日考えていたこと、吉崎先生の夢枕で、ほとんど常識、タイミングなどを逸脱していたのかもしれません。
「すぐ行かねば!」と、仲間を募って道東の山と海がつながる川に急いだのです。
心が高揚していたかもしれませんが、
私は絶対に法を犯していいません。
たまたま釣れてしまったサクラサーモンにも発言させたいと写真をとってもらい、フェースブックにUPしました。
このことはファースブックでも謝罪しています。
心より反省しています。これからもワイルドリバーとスポツフィッシング・フィールドの普及に努めますので、よろしくお願いします。
残念ながら、数多くのプロジェクト、大作映画の準備など抱えております。まだ発言が足りないのですが
ビーチ&フィールド保護協会では現在活動方針をまとめています。
アクティビィティの中に反映させて来月早々に発表します。同じ水、魚を愛する仲間として今後sともよろしくご指導願います。