
私と溝口さんとその息子1歳と夫人
久ぶりに晴れ渡ったウィークエンド、溝口ファミリーが私の家に来られました。
溝口さんは、8年間私の仕事の総仕上げを静かに、冷静に、生真面目に助けてくれた実力のある
スタッフです。結婚して、子どももが出来たことですから、安定して、長くはたらける職場に再
就職してもらいました。
5月からは私と秘書兼会計の2人だけでオフィスをやって行きます。
株式会社浜野総合研究所はいつでも動ける状態で残りますが、次第に個人活動化します。
映画プロデューサー、映画監督
都市建築アドバイサー、
財団法人ビーチ&フィールド保護財団理事長、
ライフスタイル、生活探検家としての執筆活動、
大学研究機関の特別講師
以上の仕事が多くなると思います。ヒューマンスケール、ハンドメイド、コミュニテーメイド、
ローカルメイド、オルタナティブ、サスティナブルな起業の立ち上げなども行なって参ります。
溝口さんは入社当時、私鉄の巨大プロジェクトなど、重責の中で大きな役割を果たしていました
がリーマンショックで中断、中国、台湾、韓国、タイなどアジアでも多くの地域計画を推進、
いづれも洪水や許認可の遅れなどで中断、基本設計まで行っていながらの未完成。
しかし、青山通りと骨董通りの角に建つAOビルの商業プロデュース、テナントリーシングには
大きな成果を収めました。裏通りを作らない私の難しい注文をなんとか粘り腰で貫通。
今日も地下に紀の国屋を抱えるAOビルは上品に燦然と輝いてたっています。
彼の地道な努力がどれだけ私を支えてくれたか解りません。本当に、本当にありがとう。
良い家族を育てて、いつか大きな事業でコラボ出来る日を創りたいとおもいます。
これを機に私の組織は浜野個人とティーム・ハマノの臨機応変体制をとって行きます。