シーフィッシュ SHEEFISH

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ノーザンパイク Northern pike

私のノーザンパイクを持って微笑んでいるフィッシング誌の表紙写真は

日本の釣り界を驚かせ、その年のアラスカ州でトロフィーとなった。

パイクの釣りで一番面白いのはブラックバスのトップウォーター・プラッギングと

同じ方法で釣ることだ。

今は亡きジム・ルパインとパイロットが水上飛行機を止めて見守る中で

トップウォーターに飛び出す大物の連続ヒットだ。

私を最も理解してくれた流通界の巨星、中内功(故人)さんも楽しんでおられた。

浅い沼地で水草を揺さぶり水しぶきを上げて飛び出すものすごい奴が見たいものだ。

パイク釣りだけにでもアラスカへ帰りたいものだ。

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シルバーサーモン Silver salmon

アラスカではコーホーと呼ばれている。

私は泥水と流氷のアラスカで、解放されないまま日本に帰って、

なんとかキングサーモンのいるアニアク川へ帰ろうとしていた。

然しやっとアラスカへ行けたのは8月の半ばであった。

「コーホーがいっぱいいる。ドーリーバーデンも、

グレーリングもレインボーもアークテックチャーもノーザンパイクも、

それにもしかしたらチャムサーモンもキングサーモンも残っている」

魚だらけのアラスカだった。もちろんシルバーサーモンの大群にも出会った。

私に焼き付いたシルバーサーモンは西アラスカ、

グッドニュースリバー河口の白銀の大群。

ドライフライで釣れ続いた壮絶な釣り。


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グレーリング grayling

アラスカに関して、まだ情報も少なく経験者も乏しい1970年代、

方向性を見失い、体中に泥水が流れているようなイメージに嘖まれていた私は、

ただ澄んだ冷たい水を渇望していた。

祈るような思いでアラスカに行ったときは5月の始めだった。

アラスカの川は赤く濁っているか、氷に閉ざされていた。

アニアク川唯一のガイド、ジェームス・コワミーは氷の割れ目を縫って

バックストック川という源流で一休みしコーヒーを入れた。

諦めきれない私はさらにブッシュをかき分け奥に向かって歩いてみた。

氷が大きく割れてルアーが引けるぐらいの澄んだ水が広がっていた。

11匹のけなげなグレーリングが私をアラスカに迎えてくれた。

こうして私はアラスカ熱症候群と言われる程、

毎年夏になると、13年間もアラスカへ通うことになった。

自著「テールウォーク」流水と泥水と11匹のグレーリング

是非お読みください。


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「私の初めての、憧れのアラスカは氷が溶けきらず、泥水が流れていた。

 ジェームス・コワミー(故人)が澄んだ水を探してくれた」


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「フランシス・コワミーはノルウェー人の父とエスキモーの母を持つ

 ガイドとして生きることになる。」


フィッシングやアウトドアには仲間がいる

釣りの友達、とりわけフライフィッシングの友達は本当に大切なのだ

一人で熊などワイルドライフの出没するウィルダネスに入って行くのは心細い。

アラスカで何度も熊につけ回されたことがあるが、体格のある男の友人が一人いればいいかというと、

大きなグリズリーやアラスカン・ブラウンベアーに本気で向かってこられたら絶対に勝てないだろう。

5人以上いても、もし自分に向かってこられたら、拳銃がなければ戦えないだろう。

それでも仲間がいれば安心だし、若い屈強な弟子でもいれば頼もしいのである。

雨が降り続いて水位が増している川の側に何日もいなければならないとき、

一緒に食事する人も、話し相手もいなければ悲惨である。

私は本を読むのが下手だから、こんな時には文章を書いて来た。

私の釣りに絡む小説や随筆はほとんどが雨のロッジ、テント、

そして長い移動の乗り物、駅、空港などである。

大物が釣れた時、写真を撮ってもらいたくても、褒めてもらいたくても

見せびらかしたくても一人じゃわびしくなってくる。

見せあうにも、写真を撮りあうにも友がいる。

「釣りの話をするときは、両手をしばっておけ」

 開高健が奥只見の山荘に残した色紙には、釣り談義の聞こえてきそうな、

仲間たちの姿が思い浮かぶ。釣れても釣らなくても楽しい時間を過ごしている様子が分かる。

私は芦ノ湖の報道関係者向け、試釣会に釣り雑誌の編集長代理でカメラマンを連れて行ったことがある。

この時当時としては異例と言える程の大物のレインボーを釣った。

ヒットした時間は約束の招待食事会の時間に近く、ファイトは35分を超え、カメラマンは美人だった。

私は日本の釣り界デビューに大変なことをしてしまった。

「フィッシングの新人ライターは美人といちゃついていて、宴会に出ないみたいだ」

湖に立ちこみフライを遠投し、大物を釣り過ぎ、美人のカメラマンがシャッターを切りまくり・・・

先輩をさておき、芦ノ湖初登場でありながら美人を連れて来て、約束の時間を過ぎても

釣りに興じていた様にみえたらしい。

果ては嫉妬され、噂され、芦ノ湖出入り禁止とまで言われたことがある。

「表紙から口絵カラー4ページ、どーんと行きますよ!」編集長の吉本万里(故人)は私の快挙を喜び、

釣り界唯一のフライ、ルアー、アウトドアに力を入れていた「フィッシング」の大特集にしてくれた。

私のデビューは派手だった。

それ以来吉本万里さんは命がけを何度もともにした親友となった。

(続く)

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