解りきっていることが起こっただけ。
サッカーのワールドカップで日本チームの負け方はやるせなさを通り越して、不在感を増幅させてくれた。しかもそれは解りすぎるほど予見できたことであった。奇跡を信じて熱狂に没入している若いサポーターを見ていても、どこか空(むな)しい風が吹いていた。
ジーコは「フィジカリーに負けた」と言い残して逃げるように日本をあとにした。ジーコ以前に負けていたならジーコなんか要らなかったではないか。
ブラジルに棲んでいる日本の友人になぜブラジルなんだと聞けば「女のケツですよ」と言う答えが返ってきた。たしかにジェニファー・ロペスのようなヒップが自信たっぷりに、これ見よがしに街を闊歩(かっぽ)する。
しかし、その女達と対等に渡り合っているはずのブラジル選手たちの逞(たくま)しさ、ロナウジーニョの派手な動きがワールドカップの場では鳴りを潜める。派手な個人技はかっこよくなく、組織力や持久力だけがめだち、セットプレーと誤審とレッドカードで勝負が決まる。
日本の選手はブラジルの監督とヨーロッパ流のサッカーとの間に右往左往し、先取点をとったあとのツメをすることが出来ない。技術を決定的瞬間に見せつけられない。
国際的な商取引でも交渉の場で最後まで粘る相手に根負けしてしまう。価格でも条件でも、もういいかっ!と思ってからが勝負なのだ。
心も身体も丈夫になろうじゃないか。









