私が「父と子のアウトドア共育学」(1996年廣済堂出版)を書いたのは10年以上も前である。
イジメ、虐待、過干渉、引きこもり、ニート・・・子供を取り巻く社会は寒々しい風が吹いている。もう一度、この本を自分のためにも読み返してみようと思う。自分だって、子供をいじめかねないし、虐待しかねない。子供だって親を虐待するかもしれないし、死に至らしめることが怒りかねない。
ネット、メディア社会、たしかに地球を一つの村にしたが、個人を群れから孤立させもした。誰とでもすぐに近づけそうでありながら、そのことを前提に孤立させもした。仮想と現実の差が見えなくなる一瞬に取り返しのつかない事が起こる可能性がある。しかもそのことを不安がっていては生きていけない時代でもある。
私達が直面しているアーバニズムとテクノロジーによる変化の時代は、まさしく人間の存在を自らが問い直さなければならない時代である。
自分の次に家族を見つめ直してみたい。自分の子はなぜそこにいるか?なぜ自分は子どもを欲しいと願い、その子は生まれ出てきたのか?その子を育てることは何であったか、子どもから学んだ事がいかに多かったか・・・
もしかしたら、子どもは何かを教えるために、何かを共有するために生まれ出てくるのかもしれない。感覚で共存できる同士なのかもしれない。同じ感動が持てる仲間なのかもしれない。
30年ハマノネイチャースクールをやってきて、本当によかったことは感動の瞬間を今共有しているという実感を持てたことである。
『感動入門』(1990年東急エージェンシー出版)を書いてから27年になる。「ネイチャー感覚」(1989年東急エージェンシー出版)を書いてから30年近くなる。今、あらたにハマノネイチャースクールの30年に及ぶ体験から、教育についてオルタナティブを真面目に提起するともりである。
私がボランティアでネイチャースクールという無償の大きなリスクをしょったのは、自分自身が自然から学びたかったからにほかならない。大きな成果は子どもが実に多くのことを教えてくれたということであった。
教育は連系進化を目指して人間どうしが対等になれたときに初めて学びあえる。
共育という知恵を高めたいと思っている。










