ハワイのホノルルで、こんな遊びが出来れば私のような男は一日幸せにラグーンの浅いフラットを漂っていることが出来る。ブログ化したり、年賀状で送った写真に写っている巨大魚もこのボーンフィッシュである。とりわけオアフ島のボーンは大きく美しく強い。
「この魚は、美味しいのですか」
多くの日本人にとって魚はまだ遊び相手の愛すべき生き物とは考えられず。
私が釣りの自慢話をするとがっかりするほど確実にこの問いが返ってくる。
私はまだハワイのボーンフィッシュを食べたことがないので何とも言えないが、愛すべき遊び相手を食べてしまうなんて私は考えたこともない。
タヒチの朝市には並んでいたから食べられるだろうけれども、私にとっては何日お相手していてもあきない恋人のようなものである。
光のアヤか藻の揺らめきか、ひざ小僧ぐらいの深さの澄みきったサンゴ礁を歩きながら魚影を探す。汐が引いてくると潮間帯にいるカニ、エビ、シャコの類いをつまみ食いしている大物のヒレが見え隠れすることもある。
「ハッピーフィッシュ!」
餌獲りに夢中で頭隠して尻隠さず状態になったボーンフィッシュを私はそう呼ぶ。彼女もハッピーだが、私もわくわくドキドキハッピーなのだ。まして尻尾が私のキャストしたフライに向かってスーッと走ってくると心臓に矢が飛んでくるほど痛い。
いったんフッキングすると最低でも100メートル弾丸よりも早く走る。リールのデスクブレーキ・ドラッグが悲鳴をあげて逆転し、バッキング・ラインがあっという間に出ていってしまう。
あとは足と手と全身を動員したファイト!
血液がフルに流れる。
だから私の血液はこの年になってもサラサラなのだ。
買い物に余念の無い女性や、世界中同じ風景にして平気なゴルファーはさせておけばいい。
本当の遊びを心身で覚えてしまったら、そんなものはなんの意味もなくなる。大きな別荘も豪華な車も、ブランドもどうでもよくなる。
そのかわり、遊びがわからない人にとって地球に残された貴重な自然も生物も「食べる」という、ごく原初的な物理的必要でしか評価できないのである。
そんな人はいくらお金を稼いでも幸せになれない。
遊びを知らなければ、自然も魚もそこにあるだけ。
砕け散る大波も板きれ1枚で面白くなる。
フライを巻いてロッドを振れれば、北の果てから南の果て、南海の孤島まですぐに仲良くなれる。
秘境が恋人になる。
※推薦文書
「世界の秘境で 巨大魚を釣る」
浜野安宏著 世界文化社発行











