アメリカの画一的なモール型SCほど時代遅れで退屈なものはない。
だからこそ、今ごろになって、ライフスタイルセンター(LSC)やオルタナティブモールなどと言って、中心市街地のダウンタウンのような街を偽装する計画や開発が行われ始めている。
私は70年代初頭からアパレル・ファッション関連の仕事を辞め、自分のことをライフスタイル・アーティストといい、ライフスタイル提案型のプロデューサーを続けてきた。
人間の街路にこだわり、SCやモールではなく「生活地」を創ることに賭けてきた。
ストリート派とも自称してきた。
ここで現代はどういう時代なのかという原点に立ち帰ってもらいたい。
都市文明は人間を欠乏から解き放ち、欲望にしたがって生きる自由をもたらしてきた。都市文明後の社会は欠乏充足型社会から欲望充足型社会への大きなパラダイム転換期をへて価値の急速で大きな変化とともに生きる社会実現したのである。
私のあらゆる行動原理である「ファッション化社会」(1970年出版)の基本認識である。
ところが、人類の欲望は変化し、際限なく拡大していく。それは瞬く間に地球の限界まで達してしまった。都市文明は自らが生み出した、人間の欲望を充たすデザインも同時に用意しなければならないが、さらに都市文明の自制をも意識しなければならないのでる。
アメリカ型の都市形成と日本型の都市形成には本質的な相違があるの。日本の大都市周辺では、マスプロダクション、マストランスホーテーション、サイバネティックスの内、長距離でも陸上大量輸送機関が高度に発展し、その駅周辺の市街化が進んだ。
しかしながら、アメリカは都市化の基本をとりわけ大量移動手段を自動車に依拠した。これが近代アメリカ型の居住環境を形成していくことになる。全ては自動車かあるいは長距離では飛行機に頼ったのである。ガソリンに日本のような高額の税金をかけず、安価なエナジーによって大形の車で軒から軒へというスタイルが普遍化した。
商業施設も移動する車がアクセスしやすいところに目立つ広告塔を立てパークして買うまでをいかに効率良くするかに重点が置かれ、ストリートを歩く喜びとか、街に暮らす楽しさなどというストリート・カルチャーは計画外であった。
私のファッション化社会論からすれば、これらアメリカ型ショッピング・センター(SC)はドア・ツゥ・ドアの便利さをのぞけば欠乏充足型の都市以前社会と本質的な差異を感じない。
ライフスタイルセンター、オルタナティブモール・・・アメリカのアーバンモビリティーは、今やっと欠乏充足型の文明が解放した人間の欲望やファッションやライフスタイルに気づき始めたのである。
日本でもアメリカと同様の自動車文明に基づく画一的なモール、SCが大量輸送機関から取り残されたか、未発達な地方から天下御免で拡大していった。都市時代の大きなモビリティー変革に対応しなかった中心市街地では落ち込むところが多くなった。中にはシャッター商店街のように救いようがない病理に陥っているところも多い。
今年始まる、街づくり三法は中心市街地の再生を手助けするというが、今までのようにアーケード、花飾り、看板、中途半端な駐車場などで対応できるものではない。
状況にあったダウンサイジング、適性スケール化、業態転換、ストリートの重視、界隈化、裏通りの表通り化・・・
都市の発展とともに中心市街地化した工場跡地の再開発、住宅と商業とエンターティンメントの混和による生活地化・・・
私は実に多くの提案を行ってきた。しかしながらこのような地味な活動は派手で目立つ建築などのようには積極評価されなかったのだが、この頃では街づくりのトップランナーとまで評価され、嬉しい悲鳴を上げている。









