私は自然実習の実践を通じて教育ではなく共育を提案してきた。
一冊の本にまとめるべく膨大な写真や資料と取り組んでいる。
こんな本になったら良いなと思っている。
私がネイチャースクールを始めたのは「感覚の解放、認識の拡大。知識ではなく知恵を体得させる機会を持ちたい」という強い想いからであった。
教育の疲弊、親の傲慢、私は自分のリスクで全くのコントリビューションと理解と共感で結ばれた仲間のボランティア精神に頼ってやってきた。
「教育ではない、共育だ。私も見せる君も見せろ。私も話す、君も話せ。学び合おう」
「自然だけが先生だ」
私やリーダーたちは子どもたちと自然という師の出会いと融合の手助けをするだけだった。参加した誰もが感動し、認めた共育の場ができていた。日本の教育制度には合わないが個人のリスクで運営され続けた自然学園、感覚学校であった。
浜野安宏が(社)日本ミクロネシア協会、現在(社)太平洋諸島地域研究所を母体に太平洋諸島、パラオ、ポナペ、サイパン、トラック・・・から始めて、マンスフィールド元アメリカ駐日大使と細川護煕元内閣総理大臣の呼びかけでアメリカのモンタナに私財を投じて開設した自然感覚学校の始まりから閉校するまでの感動の軌跡を閉塞状況にある日本の教育状況にオルタナティブとして記録し提言を残したい。
30年続けさせてもらった人間の役割としても、報告書を残さねばならないと考えた。ハマノ・ネイチャースクールは太平洋諸島ミクロネシア独立の支援のために生まれた。「太平洋子どもウィーク」の一環として、日本とミクロネシアの子供による交流事業でもあった。
ハマノ・ネイチャースクールは浜野安宏による教育改革への真摯で積極的な試行錯誤でもあった。今日でもなお混迷を続ける日本の教育に自己責任を負いながら全身全霊で実顕しつづけた自然感覚教育は大きなオルタナティブを突きつけてきたと思っている。
上滑りな理論を語る前にこの献身的なボランティア精神から繰り出されるメッセージにもう一度目を開き、耳を傾けて欲しい。共に育て合うことが教育なのではないか?自然から学びあい、自然の中で感覚を磨き育て合えるような、自由な学園を創りたいと思って日本、太平洋諸島、アメリカンロッキーの懐、イエローストーン、グランドティトン両国立公園で子どもから、大学生、ビジネスマンとともに浜野自然塾ともいえる共育の場を開いてきた。
自然教育の理想的な場を求めて日本国中を探したが、どこにも大きな空もなければ、鱒の産卵する河川もなくなっていた。太平洋やロッキーまで連れて行くしかなかったのである。
ハマノ・ネイチャースクールをとりあえず休んでいたが、今年アメリカのモンタナに私財を投じて維持してきた理想の大地、自然学園の場175エーカーの大地を売り渡すことにした。
30年間の試行錯誤で私は明確なビジョンとコンセプトをもらった。
グレートネイチャーを師とあおぎ、その前では先生も生徒もなく共に自己を育て合う仲間なのだ。私やリーダーに出来ることは自然と生徒を出会わせる案内人ぐらいだ。
自分の年齢からも、いったん閉校するが、今でもこの考えには変わりはない。
安倍晋三総理大臣時代に盛んに行われた教育改革論議は基本的に教える側からの論議であった。その結果「ゆとり教育」はなくなり、学力試験第一主義にもどっただけだった。
今こそ、私は子どもも、親も、先生も共に学び合い、育て合うハマノ・ネイチャースクールをあらためて世に問うべきだと考えた。










